ミネストローネ

初めてミネストローネを作った。

まず、キャベツ、ニンジン、玉ねぎ、セロリ、えのき辺りをとにかく無心で切る。最近ワンルームマンションのキッチンの狭さにイラつきまくっているので、床にこぼすのも気にしないことにしている。切り方も気にしない。とにかく切る。切ったそばから鍋にぶち込む。一通り切り終わったら、トマト缶を開け、それも鍋に突っ込む。空になったトマト缶に水をいれて、これも鍋へ。トマト缶もう一つ分、同じことをする。コンソメを2片入れて塩コショウを振って煮る。

まな板からこぼれた野菜を片づけたり、流しを掃除したりしているうちに、ミネストローネができあがった。

うすい。水を入れすぎたみたいだ。後から調整すればよかったものを先走って入れすぎた。煮詰めればいいのかもしれんが、めんどいのでそのまま食う。苦労の割にうまくないが、途中でタバスコを入れていい感じになった。

ミネストローネといえば、小学校の給食で一番嫌いだった記憶がある。どんな味だったかも今となっては思い出せないが、とにかく嫌いだったように思う。しかしあるとき「ミネストローネってうまくね?」と気づき、それ以来割と好きだ。ただそのあるときがいつなのかは、思い出せない。

こういうことはほかにもある。あるとき「しいたけってうまくね?」と気づいた気がするし、あるとき「ナスってうまくね?」と気づいた気がする。しかし、そのいずれもいつのことだったか、まるで思い出せない。いつの間にか好きになっていた。

こういうのは結構悲しい。嫌いなものが好きになった瞬間というのは、結構感動的だったはずなのに。

逆に、「うますぎて草」と思った瞬間を明確に覚えているものもある。いかわただ。磯丸水産で食った。結構昔のことで、当時「草」という言葉にこんな用法はなかったので「うますぎて草」と思ったのは嘘だが、「いかわたっておいしい!」と素直な心で思ったのは本当だ。それ以来、一番の好物はいかわただと言い張っている。しかし、最後の晩餐には選ばないと思う。明日地球が滅亡するというのに、その前夜にいかわたを食うバカはいないと思う。たぶん納豆ご飯を食う。

とにかく、俺はミネストローネがうまいということに気付いた瞬間を覚えていないことが悲しくてたまらない。そんな気持ちでサブ垢を作り、ブログを作ってしまった。こんなことをしても、あの瞬間を思い出すことなんてできないのに。どうしてもミネストローネについて書きたくなってしまったのだ。

鍋にはまだ大量のうすいミネストローネが残っている。明日になったら、いい感じに馴染んでおいしくなっていることを祈る。そしたら明日がミネストローネ記念日ということにする。